一貫して。
ニコが、小さい時の自分はどんなだったか尋ねてきた。
あぁ、学校で二分の一成人式的なことをやるから、それに向けての作文を書くのだね。
最近では二分の一成人式なんて、大々的にはやらないらしいけれど、それらしきことはやるようで。
ニコはうちの子供たちの誰よりも穏やかで、大人しくて、主張はしないけれど実は頑固な子。
平和主義で我慢強いから、家族間でもよく我慢している。家の中でそうなのだから、外ではもっと自分を抑えていることだろうな。
小さい時から今までも、ずっとそんな感じだから、時々心配になる。
この子に必要な教えは
皆に親切で優しくしなさい
ということではなくて、
あなたの優しさにつけこんでくるような人をいち早く察知して、そういう人に振り回されないように自分をしっかり持ちなさい。
ということ。
もちろんワガママなイチコには、そんなことは教えない。
イチコには
人に大切にされたかったら人に優しくなりなさい。自分のことと同じように人の気持ちや主張も大切にしなさい
ということを教えたい。
優しくされて当たり前のように感じている末っ子サンタには
人に優しくしてもらったら感謝の心を忘れずに
と教えたい。
例えば
「優しさ」
という1つをとっても、自分なりのポリシーのようなものはあるけれど、それを子供たちに教えこむつもりはない。
教えるとすれば、
それぞれの子供に足りないところを教えていきたい。
だから自ずと、一人一人に教えることは違ってくる。
一見矛盾したことをあちこちで説いて、一貫性がないように見えるだろうけれど、
お母さんの考えは常に一貫しているのです。
子どもたちが大人になったとき、自分のことが好きで人に愛されるような人間になってほしい。
そのために足りないところを教えていきたい。
一貫して目的はそれだけなのです。